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診療所やガソリンスタンドにコミュニティナースがいたら、地域はもっとよくなる。


2020.12.14

コミュニティナースのストーリー
vol.04_奈良県奥大和地域

奈良県は、複数のコミュニティナースが活動している“コミュニティナースの先進地”。
どのような組織・立場で、どのような活動をしているのでしょう。
桜井市にある『大福診療所』で、「暮らしの保健室」の企画・運営に携わっている中山一代さんと、山添村の集落支援員であり、村内のガソリンスタンドなどを拠点に活動している荏原優子さんに、お話をお聞きしました。

  • 社会医療法人 健生会 大福診療所:中山一代(なかやま・かずよ)さん
  • 山添村 集落支援員:荏原優子(えばら・ゆうこ)さん

コミュニティナースを知り“自分らしい看護”を見つめた

——中山さんがコミュニティナースを知り、実際にそれになった経緯を教えていただけますか。

中山:2017年4月に、知り合いのケアマネジャーの方から教えてもらってコミュニティナースのことを知りました。実はその頃の私は、看護師として勤めていた訪問看護ステーションの閉鎖で大きなショックを受け、精神的にどん底だったんです。コミュニティナースの自由で枠がないところに興味をもち、コミュニティナースとしての第一歩を踏み出すためのプログラム「コミュニティナースプロジェクト」の3期生になりました。

「コミュニティナースプロジェクト」での講師陣や同期生たちと出会いは運命的で、今も宝物のように感じています。自分のトンガリ……つまり個性を大事にしていいんだと聞いて、価値観が変わりましたね。みんなとの出会いに心がゆるんで、自分らしさを問い続けて追求していたら、自分に笑顔が戻ってきました。

その後、ご縁があって現在の勤め先である『大福診療所』で働き始めました。私は非常勤勤務で、ふだんは看護師として外来診察の補助や往診の同行などをしています。

 

——コミュニティナースの活動はどのように始めたのですか?

中山:「コミュニティナースプロジェクト」の終了後、コミュニティナースにはなったのですが、実は道に迷いまくりました(笑)。なぜかというと、『大福診療所』は戦後地域に医療機関がなかった頃に一人の女性医師が始めた、地域医療を長年続けているところで、全職員が地域の方々とのつながりを大切にしています。助け合いの精神があるんです。「働いているみなさんがすでにコミュニティナースだ」と感動しました。一方で、わざわざ自分が今「コミュニティナースです」と名乗るのはどうなんだろう……と。

そんなとき、『大福診療所』の会議室を利用して、NPO法人が月に一度開催している「暮らしの保健室」の存在が気になり、上司に頼んで2017年9月の保健室を見学させていただきました。「暮らしの保健室」にコミュニティナースの考え方をプラスすれば、もっと楽しくなるのではないかと思い、10月からボランティアスタッフの方と共に企画運営に携わることになりました。その後、ありがたいことに、私は勤務時間内にその活動をさせていただけることになったんです。

内容は具体的には、音楽を楽しんだり、お金や認知症について知ったりと、さまざまです。特に、イタリアンシェフによる3分クッキングは大人気でした(笑)! 楽しくないと続けられませんから。徒歩圏内に住む方をはじめ、事業所や地域包括の関係者など、20〜40名が毎回参加してくださっています。

2018年10月には、奈良県福祉医療部の長寿・福祉人材確保対策課主催の優良事例を表彰する「奈良介護大賞」において「あたたか介護賞」を受賞しました。

2年間NPO法人の予算のもとで活動してきましたが、それが2020年春に終わります。2020年4月からは、『大福診療所』のいのちと健康を守る地域コミュニティ「友の会」の「暮らしの保健室」として、活動しています。素敵な診療所で働き、コミュニティナースとして活動できていることが私の誇りです。

 

医療や健康にまつわる知識を生かして、地域と関わりたい

——荏原さんはなぜコミュニティナースになったのでしょうか。

荏原:私は以前、看護師として神奈川県にある救命救急センターで5年間働いていました。さまざまな患者さんがいるなかで、特に印象に残った方がいて、それは新興住宅地に住む脳梗塞を患った男性でした。その方は一人暮らしで地域のつながりはなく、手足に麻痺が出て、側溝にはまった状態で発見されたのです。なんと3日間もそこにいたそうです。

救命救急センターに運ばれ「よかった、助かった」とおっしゃったのですが、残念ながら半日の間に悪化してお亡くなりになりました。私は、無力感にさいなまれました。発症後、早くに見つけられていたら違う結果になったかもしれない……と感じたのです。

そんな頃、59歳の父に末期がんが見つかりました。父が亡くなったとき、私は「父は孤独だったのではないかな」と感じたのです。その後、ある住職さんから“三つの縁”について教えてもらいました。家族や親族との「血縁」、仕事のつながりの「社縁」、地域の人とのつながりの「地縁」です。

一般的な看護師として働いていると、この“三つの縁”に関わるのが難しいと感じることもあります。医療や健康にまつわる知識を生かして地域と関わりをもてないかと考えたとき、知ったのがコミュニティナースでした。「コミュニティナースプロジェクト」を受講して、2017年に山添村へ移住しコミュニティナースになりました。

 

——現在山添村では、主にガソリンスタンドに駐在して活動しているそうですね。

荏原:はい。山添村は奈良県の北東部にある、人口が約3500人の村です。山のあるエリアなので、すぐ隣やご近所に民家がいない人もいます。そこで、こちらから赴いてお話を聴かせていただいたり、村の人の多くが訪れる村内のガソリンスタンドを拠点にし、1日の半分はガソリンスタンドに駐在し、住民の方と接点をもつようにしています。

 

私のお手本は、同じガソリンスタンドで長く働いているスタッフの乾由(いぬい・ゆう)さんです。毎日お客さんに声をかけて、村の人たちの様子をよく見ているんです。彼女を見ていて、「健康相談ありませんか」などと紙に書いてただ座っているよりも、天気などの共通の話題を話しかけて仲良くなったほうが早いんだ! と分かりました。

由さんが「楽しく明るくいるのが一番やで!」と言っていたので、「いつでもお話を聞けますよ」という明るい姿勢で、方言などもなるべくあわせて耳を傾けるようにしています。お客さんとのコミュニケーションのなかである方に認知症が発覚するなど、いろいろな成果が出ています。

今は地域づくりをするための臨時職員「集落支援員」ですが、2020年4月からは任期の最終年度になるため、今後について自治体と協議をしました。人や情報の集まるハブ(拠点)のような場所を、生活の動線ごとにつくり、私はこれまでよりも(村内の)広い範囲での巡回をして、赴くエリアを増やしていくことになりました。そのため、ガソリンスタンドにいるのは週に2日ほどになる予定です。

自治体のみなさんと3、4年後のビジョンを共有でき、うれしかったですし、益々やりがいを感じます。地域の声を拾い、発見したり、適切につないだりしながら、民生委員さんたちと連携して活動していきます。

 


取材・文:小久保よしの
写真提供:中山一代さん、荏原優子さん