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「ないものはない」海士町の暮らしと医療の未来 〜「島まるごと診療所」ツアー 〜 その②


この秋、医療従事者の皆さんを対象に、島根県の離島「海士町」をフィールドにした“「島まるごと診療所」ツアー~課題先進地のプライマリケアを感じる旅~”が開催されました。

この場所に実際に訪れることでしか知ることの出来ない医療現場の現状や、島民の皆さんとの交流から見える海士町の様々な姿に出会う2泊3日の旅。 二日目前半のレポートです。

>>>> その① 一日目レポート
>>>> その② 二日目前半レポート
>>>> その③ 二日目後半レポート

 

”心ひとつに みんなで しゃばる 島づくり”(町役場・吉元操副町長)

二日目の朝は、再び古民家村上家で、海士町役場・副町長の吉元橾さんから、町の歴史と行政の取り組みを伺う。

【 海士町役場・副町長/吉元 操(よしもと みさお)さん】
1959 年、海士町生まれ。平成の大合併で海士町が単独町制を決断したときに合併協議会の事務局長を務めた。町が一丸となって危機を乗り越 えていく様子を第一線で指揮をとった。島前高校魅力化プロジェクトもそのひとつ。「島の人口の維持と、島独自の歴史や文化を未来に引き継ぐ」 という愛郷(愛嬌)心に溢れている。「明日の海士をつくる会」の相談役としても若手の活躍の場面を数多く創出し、2018年副町長に就任。

 

 

島をまちを愛しているからこそ持つ「危機感」

平成15年、当時財政課長だった吉元さんは、町の財政はこのままいくと破綻すると試算。「三位一体の改革」による地方交付税の大幅削減が大きな要因で、さらには島前3町村(海士町、西ノ島町、知夫村)の合併案が国から提示されるなど、町としては天災のようなダメージ。未来が見えない苦しい状況だった。

合併することで合理化が進み、島の診療所は無くなり、福祉施設なども一番大きな西ノ島に集約されてしまう。島前3町村はそれぞれ、島同士が離れているため、病気を診てもらうためには、バスに乗って、船に乗って、さらに歩いて行かなければならない。合理化は島からの人口流出を加速させる。

島内でも賛成・反対意見が分かれた。しかし、吉元さんは島で暮らしつづけたい人を守るため、なるべくうるさい人(反対意見の人)を巻き込み議論を重ねた。その結果、町は単独町政を選び今の海士町があるという。

 

まず、財政の危機への対策として当時の山内町長が行ったのが、「守り」としての自身の給与カット。その結果「過去の赤字は歴代の町政が残したものだが、その政策を選んだのは我々町の職員だ」と、議会・管理職・職員までもが給与カットを申し出ることとなり、海士町は「日本一給与の安い」自治体になった。

職員の給与カット分を、子育て支援や産業面にまわしたことにより、子育て環境の充実や経済の循環に繋がって、職員や町民の意識に大きな変化を生んだという。

海士町は、一番住民に影響のない財政施策で経費削減に成功したのだ。

 

 

心ひとつに!みんなでしゃばる島づくり

守りの給与カット、攻めの産業施策を進める中、生徒数の減少で島唯一の高校が廃校の危機を迎える。「なんとかここを守らんと、子育て世代や若者が島を出てしまう!」と、高校を存続させることを最優先に立ち上げた「教育魅力化プロジェクト」。約10年の時を経て、その挑戦は、学校を軸とした地方創生の成功事例と呼ばれるまでになった。

教育の魅力化の次には、医療の魅力化をやりたいと考えている吉元さん。

様々な課題を抱えながらも、独自の行財政改革と産業創出によって危機を乗り越えてきた海士町。その背景には、医療や福祉体制への安心感と、それを担う医療・福祉従事者の下支えがあったという。

 

吉元さん:

心ひとつになることが一番。

それでみんながお互いを信頼しながら生きられる社会。
困った人がいないのが理想。
そこを目指す努力をする人が増えることに価値がある。
死ぬまでできないのかもしれないけど、それがみんなのしあわせになればいい。

なかなか難しいけどね。

 

 

本当の危機になる前に、島として未来にできることを島のみんなで“しゃばる”。

みんなでしゃばる(引っ張る)島づくり』は海士町の町政スローガン。“しゃばる”とは、「引っ張る」という意味の海士弁だ。

これまでも、島まるごとをひとつのチームと捉え、豊かな自然と歴史の上に、新しい人・物を柔軟に取り込んできた。島で暮らす人たちを大切に想うからこそ、官も民も、外からの人も巻き込んだ挑戦をし続けるのが海士町のあり方。

海士町の取り組みは、成功事例として紹介されることも多いが、まだまだその挑戦は終わらない。

 

 

”仕事をつくる人をつくる” 課題先進地に見る未来の可能性(隠岐國学習センター

【 隠岐島前高校魅力化プロジェクト・学校経営補佐官/大野 佳祐(おおの けいすけ)さん】
東京都出身。大学卒業後は、早稲田大学でファンドレイジングやグローバル化推進に従事する傍ら、学生が企業課題の解決に挑戦する「プロジェクト型授業」を立ち上げる。2010 年にはバングラデシュに学校を建設。2014年に退職し、海士町に移住。 2 代目プロジェクトリーダーとして魅力化プロジェクトに従事。

 

 

高校の廃校の危機からの挑戦

県立島前高校は、西ノ島町・海士町・知夫村からなる“島前地域”を校区とする、地域で唯一の高校。10年前、この高校に生徒数の減少で廃校となる危機が訪れた。

高校がなくなると、進学と共に家族ごと島外へと引っ越すことになる。そうして子育て世代が減っていくことは、地域の急速な衰退へとつながっていく。若い世代にとっては、暮らし続けることや移住の決め手となるため、高校の存続は島の存続に密接に関係している。

そこでスタートしたのが「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」。島全体をフィールドとして、学校・学習センター・寮という3つの場所を開いた。県立高校ではあるが、海士町の大きな課題対象として取組んできたことで高校の生徒数は倍増。そして、ここで行われた地域の未来をつくる人材を育てる為の数々の実践は、全国から注目されている。

 

 

地域の課題をチームで解決する、総合的な探求

一般的に学校というものは閉鎖されていて、関わる大人は先生だけで上下の関係になってしまうが、島前高校では、先生以外に関わる大人の斜めの関係が入る。

地域の課題を知り向き合う中で、本気の大人たちと出会い、「正解を探す力」ではなく「問いを立てる力」を磨いていく。ぐるぐると失敗と挑戦を繰り返す中、失敗した時ほどサポートされる関係性が、”レジリエンス”の力を育てていく。暮らすことと学ぶことが分けられず、本質に迫る力を得られる環境がここにはある。

 

失敗を恐れずに、チャレンジを繰り返す

海士町の「教育魅力化プロジェクト」は、生徒を中心とした多様な関わりから、生徒だけではなく関わる大人も変化することで、島全体の魅力化にも繋がっている。

 

大野さん:

昔は、地方は早く統廃合されればいいと思ってたけれど、今はまったくそう思ってない。地方ができることを地方が真剣に考える時。
そこに都会のスキルを持った人たちがセンスを増やしに来れたら、こんな面白いことはないですよね。

「とりあえず島に来なよ。」

色々考えちゃうと動けなくなるけど、バンと背中を押されて、島に来たら物語が始まると、いろんな人に伝えています。

大人の方が、失敗してはいけないと思い込み、失敗しないように生きているんですよね。
来ない理由はいくらでもある。
今の収入を落とせない。今の会社をやめられない。

でも、ほとんどは幻想。やっちゃうとできちゃう。
東京にいた時より収入は減ったけれど、今、困っていることはないし。
1ミリも後悔してないです。

 

生徒たちが島の大人の背中を見て、生き方を知り、仕事を知り、新しい関係性の中から新しい価値観に触れる。一方大人は、そんな子どもたちを受入れ、誇りを持って自らが歩んできた紆余曲折の人生を見せていく。島がまるごと学校になることが、人づくりになり、海士町全体が魅力化されていく。

大野さんの言葉の通り「とりあえず島に来なよ。」に乗っかって、そんな好循環に巻き込まれてみるのもよいのかもしれない。

 

 

必要なものは、ないならつくる(あまマーレ)

【森のようちえん 島を遊びこむ お山の教室・事務局/藤本 かおり(ふじもと かおり)さん】
元グラフィックデザイナー・ディレクター。海士町には子育て支援施設として開館する教育委員会のコミュニ ティー施設あまマーレの求人をきっかけに移住。あまマーレの開館・運営に携わる一方でお山の教室が毎日できるようにサポート。

 

 

島の子らしく遊ばせたい

お山の教室は、もとはIターンで移住した親たちが、「島の子たちみんなに、自然体験をさせたい」という思いから始めたもの。 自然体験活動を基軸にした、デンマーク発祥の「森のようちえん」という幼少期教育を知っており、それをもとに単発イベントとして開催したのがきっかけだった。現在は行政の支援を受けながら、元保育園の施設あまマーレを利用し、週5日の預かり保育を行う認可外保育園となっている。

親だけでは体験されられない遊びや、集まる親子がやってみたいことに挑戦し、地域の人と触れ合いながら、山や海、神社、集落をお散歩したりお山での遊びを続けたりするうちに、入園希望者も働き手も増えていったという。

 

藤本さん:

こんな島に保育士さんが来てくれるのかしら?と心配していたけれど、ただ自然で遊ぶだけでなく、「押し付けない・教え込まない」という見守り姿勢の運営方針に賛同して、各地の保育現場で疑問を持っていた人が集まってくれました。

高校の魅力化が進んでいるおかげで、未就学児の取り組みも受け入れやすい土壌ができているためか、子どものいない地区に散歩に行くと町の人たちが「お山の子たちがきた!」と喜んでくれることが嬉しい。

 

保育園の職員は6人で、移住して働いていた2人が島で結婚して子どもも産み、保育の担い手としてだけでなく、人口増にも貢献している。隠岐國学習センターのスタッフがお手伝いにくることもあり、教育魅力化プロジェクトともゆるやかに連携している。「ないものはない」海士町だからこそ、ここで暮らす人たちが、必要なものは自分たちの手でつくり出していけるのだろう。

 

 

>>>> その③ 二日目後半レポートに続く

>>>> その① 一日目レポートはこちら

 

次回の「島まるごと診療所ツアー」は、2020年3月5日(木)~7日(土)開催です。

このツアーレポートでお伝えしきれなかった、島の空気や風景や音、お会いする皆さんの言葉や表情から溢れる、
島と暮らしを愛する思い、豊かな自然とおいしい食べ物を体験しに、ぜひ、海士町を訪れてみてください。

詳細はこちらからご覧ください。
▶︎ https://www.kurashimanet.jp/event/detail/2000/