「ないものはない」海士町の暮らしと医療の未来 〜「島まるごと診療所」ツアー 〜 その③
この秋、医療従事者の皆さんを対象に、島根県の離島「海士町」をフィールドにした“「島まるごと診療所」ツアー~課題先進地のプライマリケアを感じる旅~”が開催されました。
この場所に実際に訪れることでしか知ることの出来ない医療現場の現状や、島民の皆さんとの交流から見える海士町の様々な姿に出会う2泊3日の旅。 二日目後半のレポートです。
>>>> その① 一日目レポート
>>>> その② 二日目前半レポート
>>>> その③ 二日目後半レポート
子どもたちの口に入れたくないものはつくらない(みやざきサービス宮崎夫妻)
今回のツアーの宿泊先のひとつである、みやざきサービスに移動し、海士町での子育てと暮らしについての思いを伺った。
【 みやざきサービス/宮崎 雅也(みやざき まさや)さん】
大学時代にゼミを介して海士町に出会い、その自然とともに生きる島の人たちの姿に魅了され、大学卒業後海士町に I ターン。なまこ工場の立ち上げや民宿但馬屋で修行を積んだのち、現在は夫婦で田舎暮らし体験のできる民泊「みやざきサービス」を営んでいる。
自分たちでつくる、循環型の暮らし
学生時代に海士町と出会い「ここで暮らしたい!」と、押しかけ就職のような形で民宿但馬屋で9年働き、結婚を期に独立した宮崎さん。「子どもたちに、より暮らしやすくて楽しい環境を引き継いでいきたい」という思いが、子どもが生まれてから強くなったと話す。なまこの加工業を中心に畑や田んぼ、近くの海で漁をするなど、半農半漁を超え生活にまつわる様々な手仕事、野良仕事を自分たちでつくりながら、ご夫婦で循環型の暮らしを目指している。
雅也さん:
自分の周りのこと、できる範囲で手をつけていきます。田んぼに農薬を使わないで、前の年の藁を肥料として育て、なるべく土地そのものの力を借りて、循環させていきたいと考えています。島の人たちは、新しいやり方を始めても失敗しても、見守ってくれます。
子どもたちに説明できないものは畑にいれたくないんです。
畑と海がすぐ近くにあるので、農薬や化学肥料はすぐ海に流れて、食べる魚に入っていくから使わない。お味噌や麹など発酵食品はつくる過程も楽しめて、さらに美味しいです。
美穂さん:
小さい子がいると、島に大きな病院がないっていうことにいつもドキドキしています。
健康を保つために自分たちにできることは何かと考えた時に、日本の中で食べられてきた発酵食品がいいんじゃないかと思いました。自分たちでつくっているうちに、結局「菌」が大事なんだといきついたんです。
土の中が発酵していないと植物も育たないし、人との関係も腐敗するんじゃなくて、発酵していく方がおもしろいと感じています。
しかし海士町に住み始めた頃は、ここが一番と思っていたわけではなかったという。
けれど、他の土地を訪ねるほどに、海士町がどれだけいいかがわかってしまった。命のある食べ物が普通にあって、みんなで分けあえる規模の暮らしができる。魚を釣って、さばいて、内臓を仕掛けておくとタコがとれる。自分たちでつくった小麦を石臼でひいてタコ焼きにして食べる。
自分たちが納得のいくように、試行錯誤しながら暮らしをつくる宮崎さん夫婦。
お米がつくれるというのは、当たり前のようで実は離島という環境では珍しい。しかし海士町は、離島でありながら湧き水に恵まれている為、宮崎さんのように農薬や化学肥料を使わなくても、週末に田んぼの世話をすることができれば、家族が食べる一年間のお米は収穫できるのだ。
「“島まるごと台所”だと思っていて、本当の良さを大事にして暮らせるなら、ずっといたい。」と、美穂さん。
海士町には、誰もが「半農半X」で自らの暮らしをつくり・愉しめる環境が広がっている。
暮らしも関わりもまるごと見える島の医療 看護師座談会
再び、海士診療所を訪れ、ここで働く看護師の皆さんとツアー参加者の対話の時間。
海士町で働く4人の看護師さんに集まっていただき、海士町で看護師として働く実情や、海士町だからこそ得られている体験などをお聞きした。
鹿児島の大学を卒業後、保健師として海士町に来た前田さんは、現在は看護師として診療所で働いている。
前田さん:
就職当時男性の保健師の求人が少なく、偶然募集していた海士町で採用となりました。
働き始めてからずっと海士だから、他と比べることができないけど、暮らしと仕事が分けられることなく、看護師として町の人の健康を気遣うし、ご近所さんとして町の人に気遣われる関係性。仕事としてだけでなく、声を掛け合う暮らしは密度が濃いけれど楽しいですね。
千葉県から移住してきて4年目となる中野知香さん。病棟勤務の時とは異なり、患者さんとの距離が近いという。
中野さん:
始めは覚えることもたくさんあり、大変でした。でも、2年目くらいから患者さんの暮らしまで知ることで、だんだんと仕事が楽しくなり、担当以外の人と会ってご家族のことまで話せるようになったときは嬉しかったですね。
ここでは、薬の処方や医療行為以外のことも関わるようになり、分業で担っていた時には体験できなかったことも出来て、診療全般の見え方が変わりました。
病気で通院したその日に、患者さんが畑で働いているのを見た時はびっくりしたけれど、病棟だけの関わりの時は見えていなかっただけで、それぞれの暮らしが続いているんだということが今ではよくわかります。
海士町には葬儀社がない為、看護師がエンゼルケアまで担うという。患者さんとの距離が近い地域の医療現場においては、家族や暮らしを知っている方の死に立ち会うことで受ける悲しみは深くなる。しかし、だからこそお世話した方が“生から死”に移行するその瞬間に立ち会うことへの覚悟と、最期まで患者さんを大切にしたいという医療者の強い想いがそこにはある。
島だからこその関係性の中で、海士診療所の看護師さんたちは、日々医師を中心に町の人に寄り添いながら看護を進めている。
暮らす人とともにつくる、これからの医療 取材後記
今回のツアーでは、医療だけでなく、保健福祉・教育・海士町政など、様々な側面から海士町を知ることができました。また、島の皆さんとの交流を通じて、人の温かさや、文化の素晴らしさ、暮らしの中の課題に触れる貴重な機会となりました。
海士町が課題の先進地として挑戦し続けていられるのは、ある日突然何かが起きたからではありません。長い歴史の中で、常に町は変容を繰り返し、日々の暮らしを営む町の一人ひとりがそれを受入れ、当事者として変化し続けてきたからこそ。
そして、その変容と変化の歴史は、暮らしと命に伴走する医療や福祉の万全な体制に支えられてきました。
ツアーの途中、未来に向けたより良い島の医療体制づくりについて看護師の淀さんに質問を投げかけると、「いろんな人で医療をつくっていく」という答えをくれました。この言葉は、そのまま海士町の町政スローガン『みんなでしゃばる(引っ張る)島づくり』に通じます。
本当の危機になる前に、島として未来にできることを「島のみんなで“しゃばる”」。この言葉に、これまで守り続けてきたものの価値、そしてこれから先の未来の町の方向性の全てが詰まっているような気がしました。
お医者さんにかかれば大丈夫。
親の代から、家族みんなをみてくれている先生だから安心だ。
高度医療など高望みはしないけど、今のままかわらないでいてほしい。
はっきりと口にしているわけではないけれど、町の人は、今のまま変わらないでいてほしい。変化することは不安だと感じているように思えます。10年後も考えて、どういった未来があるのか。
もちろん、このまま海士町にずっと住んで、今までのように生活背景まで把握してくれる医師がきてくれれば、同じような診療体制を続けられるのかもしれませんが、それが簡単ではないことは明白です。
とても難しい課題だけれど、専門家だけではなく町の人を巻き込んで、10年かけて高校の魅力化を共に進めてきた海士町なら、医療の魅力化も進められるのではないでしょうか。
「島まるごと診療所」プロジェクトは、移住するしないや、医療の専門家かどうかに限らず、海士町に関わってくれる人たちとのつながりをひろげ、新しい医療のあり方を試行錯誤していくプロジェクトとして、今も進んでいます。
次回の「島まるごと診療所ツアー」は、2020年3月5日(木)~7日(土)開催です。 このツアーレポートでお伝えしきれなかった、島の空気や風景や音、お会いする皆さんの言葉や表情から溢れる、 詳細はこちらからご覧ください。 |
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